TOYOTA STORY

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とト屋が間人にある理由

京丹後は、歴史が綴られるずっと前から、大陸との交流があり最先端の文化が伝えられてきた日本の玄関口でした。「海辺のうまし宿 とト屋」がある間人(たいざ)は、聖徳太子(=厩戸皇子・うまやどのみこ)の生母、間人(はしひと・はしゅうど)皇后(=穴穂部間人皇女・あなほべのはしうどのひめみこ)が座していた場所としても知られています。間人という地名はその字からも皇后との深い関りがうかがえますが、諸説あり確かなことはわかっていません。奈良の中宮寺は間人皇后の宮殿を寺としたと伝えられる尼寺で、弥勒菩薩が1400年もの永きにわたって人々を美しい微笑みでやさしく見守り続けています。生あるものすべてを救うという菩薩像には間人皇后の思いが込められていると言います。

こうした歴史を持つ間人で、「次の世代、孫の世代に何かを残したい」女将のそうした強い思いの末に「うまし宿 とト屋」がスタートしました。

何の経験もない〝女将業〟は苦労の連続。山あり谷ありのとト屋がようやく軌道に乗り出したころ、「観光の最終目的はそこに住む〝人〟だ。お客様は〝人〟に会いに来るのだ」という考えに目覚め、せっかく間人まで足を運んでくださったお客様に何を持って帰ってもらおう……
真心? 笑顔? あれこれ悩む日々が続きました。

美味しいもの、きれいな風景は確かに感動するけれど、それは一瞬のできごと。忘れられない旅を間人から持って帰ってもらうために、間人の人々との交流を通して本当の間人を知ってもらいたい、日々の暮らしの中にこそ、その土地の魅力があるはず。そんな考えに賛同する間人LOVEな人々が集まり、どんな交流ができるか夜な夜な会議が繰り広げられてきました。

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そうして、とト屋の女将さんをリーダーとして「京丹後龍宮プロジェクト」が発足。京丹後の海、山、里、食を題材に、地元の人々が編み出した〝おもてなし〟を添えて持ち帰ってもらう龍宮の玉手箱。この玉手箱は、京丹後のモノやコトや人たちがモクモクと湧いて出てくる京丹後の自慢が詰まったものとなりました。

女将さんを中心に練り上げられた体験プログラムは「青の洞窟・愛の洞窟体験」「朝日を見ながら定置網体験。トレピチ魚を食す!」など60以上。まだまだ新しいプログラムは湧いて出てきます。さらに、体験プログラムだけでなく新しいサービスもどんどん増殖中です。

間人皇后の思いとは、「愛」「平和」「約束」という、時代がどう変化しようが、人がこの地球上で生きていくうえで最も大切なもの。それを発信し、伝え続けることこそ、この間人の地で奮闘する意味があるのだと女将さんは言います。

大陸の王朝と日本の王朝をつないできたように、何かと何かをつなぐきっかけ、それがこの地域に与えられてきた役割なら、体験というコンテンツを通して、間人の人々と旅行者をつなぐフィールドになる。これがとト屋の目指すところなのです。

あなたと心躍る体験、あなたと新鮮な海の幸、あなたの、この上ない素敵な出会いのために「とト屋」はありたいと女将さんはいつもこのことを胸に皆様をお迎えしています。

(平成30年9月13日 ライター著)

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